裁判員制度
裁判員制度がいよいよ始まったとどこかに書いてあったような...。
私は賛成の方なんですが、どうでしょうか。
なぜ賛成なのかと言うと、司法なり政治なりを、もっと自分達で作っていくようにした方がいいと思うからです。誰かに任せると言うのもひとつの方法ですけれども、民主主義というのは、自分達で国を作っていくという規律の維持の仕方ですし、仮にその誰かが間違えたり、判断する人たちの規律や能力が落ちたりして、非難することになっても、結論として、間違えてしまったことはもうどうにもなりません。自分達でやっていく、と言うことは、その人たちに任せた責任は、自分達で負わなければならないということですし。
他の人が不手際をして間違えようが、自分が間違えようが、結果の「間違えた」ということは変わらないわけで...。この場合に考慮すべきなのは、どちらの方がうまく判断できそうか、という所です。なぜかと言うと、そこが未来に起こる結果に対して、一番大きく効いてきそうだからですね。「誰の責任か」から逃れようとしても、結果をいいほうに持っていけなければ、全体として良くなりません。
そして、われわれがうまく出来ない、と言ってやらないでいると、人を裁くと言うことに対して理解が全く深まりませんし、理解できなかったり、能力(?)が上がらない、ということは、結局、司法ということに対して全体のレベルが上がらないということでもあります。この能力アップというか、認識力アップというか、これからは逃れられないのだと思います。自分達の思うような国に住みたいのであれば。
法律的なことでなくても、人を裁くというのは、少し大きく見れば日常的に大なり小なりやっているものだと思います。そして多くの場合、裁いている、つまり、こちらの意見や出方によって、相手を断罪してなんらかの強制力や非難をもった力を行使しているものだと思います。例えば、親が子供をしかる時、人のすごく気にしていることに触れて、相手がどうしても気になるようになってしまう時とか、部下の評価、その他もろもろ。
いつも間違いというのはあるし、世の中というか、生活というか、は、そう言った、ベストを尽くしても悪くでる結果を自分で受け入れなければいけないって事からは、逃げられないんだと思います。
でも、子供の頃から学校や新聞・テレビで教えられていることって違いますよね。クリーンで、民主主義は正しい!、弱いものが正義だ!、子供は純真で正しい!。で、悪いのはやったやつらだ...。こうして叫ぶことは、感情の発散にはいいんです。純真無垢で、自分は正しくて、悪いやつらをやっつけてやるのが正義だって、いつも同じクリーンなイメージが頭の中で鼓舞されて、強化されて、勧善懲悪の物語の様に気持ちがいい。でも実際は違う。
実際はもっとべったりと見て、他人の言葉でなくて、自分が感じたことから、目の前にあることに対して、
「どういうことなんだろう?」って考えて、自分の言葉で話し始めてから、初めてなんとなぁーく、分かり始めるんだと思います。
ので、未来に向けて実際に世の中を作っていっている一員として、参加するのがいいんだと思っています。
| 固定リンク
「経済・政治・国際」カテゴリの記事
- CO2 なんで?(2009.08.04)
- 民主党が教員免許の更新制度やめるかもって...。(2009.07.26)
- 選挙と報道(2009.07.26)
- 非正規社員の増加?(2009.07.25)
- GDP 第二位の中国(2009.07.17)
